出雲藩でも寛延(1750)頃より城下にて金魚の飼育が盛んになり、年々品種の改良と選択交配
により他国に見られない出雲特有の優れた「出雲ナンキン」を作り出した。
松江藩主不昧公は金魚を愛し部屋の天井に硝子をを張り月光で金魚を眺められたとか、或いは
金魚の褐色(色変わり)について藩士を他国に派遣して、その秘法を会得させ、紋様(紅白斑)まで
作られたと伝えられている。
また、旧藩時代には下級武士にこの魚の飼育を奨励し、他国は移出し家計の一助にと全家族で
良魚の作成に熱中したと伝えられている。
                     

                         出雲ナンキン愛好会会報誌より抜粋